EEトレンドウォッチ

大気・海洋環境領域
副研究参事
筒井 純一

第13回 
地球温暖化を考える(5)  carbon budgetについて

2017年12月18日

 地球温暖化の話では、いろいろと専門用語が出てくる。新しい概念を表す用語は、国際的な組織で作成される英語の文書から入ってくることが多く、それを日本語でどう言い表すかはなかなか難しい。

 地球温暖化の科学を扱う代表的な国際組織と言えば、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)である。実は、この名称に含まれる専門用語としての「climate change」も、当初は「気候変動」と「気候変化」が混在し、後に公的文書では前者に統一された経緯がある。ただし、専門的には後者が適切という意見も根強く、筆者もそう考えている(注1)。

 ある概念を異なる言語で表す場合、言語間で微妙なニュアンスまで含めて意味が完全に重なるのは稀である。地球温暖化の分野に限らず、外国語から入ってくる新しい概念は、紆余曲折を経て、訳語が定着するのが常であろう。ここでは、まだ訳語が定着していないcarbon budgetについて考えてみたい。この用語は、もともと「炭素収支」と訳される学術用語であったが、最近では、所定の温度目標の下で許容される累積的な炭素排出量という別の意味にも使われるようになった(当欄の第9回)。学術用語の方に慣れている専門家にとっては、新しい使われ方に戸惑いを感じるかもしれない。とは言え、2017年9月に確定したIPCCの次期報告書の目次リストには、新しい意味でのcarbon budgetが明記された。こちらはCO2等の長期の排出削減目標に直結するため、その内容が注目されるところである。

 budgetを辞書で引くと、まず「予算」や「経費」といった訳語が出てくる。小型の辞書にはこのような財務用語しか出ていないが、大型の辞書には「限られた蓄え(供給)」といった一般的なストックの意味も出ている。さらに少数の辞書には、「(エネルギーや水などの、特定の状況で)見込まれる量」や「収支」という訳語も載っている(注2)。エネルギーや水はある種のストックであり、そのストックの増減が収支に当たる。収支の方は「バランス(balance)」とも言い換えられる。炭素についてもある特定の量やその増減を同じ概念で言い表すことができ、それがcarbon budgetだと理解される。

 新しい意味のcarbon budget、すなわち所定の温度目標の下で許容される累積的な排出量を日本語で簡潔に言い表すのは難しい。最近では、これを炭素予算と訳した文書を見かけることもあるが、筆者には違和感がある。語源辞書(注3)によると、budgetは「革のポーチ」や「小さいバッグ」を意味するフランス語に由来し、16世紀に財務の意味と一般的なストックの意味でも用いられるようになったとある。したがって、budgetはもともと財務だけでなく物量も表す概念であり、上記のように、新旧のcarbon budgetはいずれも物量としてのストックの概念に通じる。新しい意味のcarbon budgetは、カタカナでカーボンバジェット、もしくは炭素バジェットとしておくのが妥当と思う。

 ストックとペアになる用語にフローがある。ストックが貯蔵庫の蓄積量を表し、フローはその貯蔵庫への出入りや、別の貯蔵庫とのやりとりを表す。

 地球規模での炭素のストックとフローを図1に示す。この図では、炭素の貯蔵庫として、大気、海洋、陸域生態系、および堆積岩を概念的にボックスで示している。ボックス間の矢印がフローを表し、物理用語ではフラックスと呼ばれる。フローには、物理化学的な作用や生物活動などが関係する自然のプロセスの他に、化石燃料の燃焼や土地利用の変化といった人間活動の作用が含まれる。今年の排出量とか、2050年といった特定の年の排出削減目標は、フローとしての見方である。

図1 地球規模の炭素のストックとフロー

Archer (2011, Princeton Primers in Climate)に基づいて作成。GtCは炭素(C)部分の質量で10億トン。 大気中のCO2の質量はその3.67倍。太字は人間活動によるフローを表す。 化石燃料は堆積岩中の炭素ストックのごく一部を占める。 非在来型も含めた化石燃料の2011年時点の確認埋蔵量と未発見資源量は、 それぞれ1,000-1,940 GtC(3,670- 7,100 GtCO2)8,540-13,650 GtC(31,300-50,050 GtCO2)(出典:IPCC第5次評価報告書)。

 地球温暖化の予測では、大気に出入りする炭素フローを正確に把握する必要があり、過去の炭素収支(従来のcarbon budget)を詳しく調べる研究が各方面で続けられている。また、将来の気候を予測するコンピュータモデルでは、図に示す地球規模での炭素循環を数式で表現して詳しく計算する研究が続けられている。

 許容排出量としてのカーボンバジェット(新しいcarbon budget)の考え方は、このような地球規模の炭素収支や気候予測に関する多くの地道な研究が基になっている。こう考えると、carbon budgetの二つの意味は表裏一体であり、地球規模の炭素のストックとフローの問題を科学と政策のそれぞれの側面から見たものとも言える。さらに、長年にわたる研究で科学的な理解が進んだ結果、地球温暖化の緩和策についての問題認識が質的に変わってきた点も注目される。これは、特定の年の排出削減といったフローの問題から、累積的な排出量に上限があるというストックの問題への変化と言うことができる。

(注1)本来の「気候変動」(英語では「climate variability」)は、様々な原因によって気候の状態が移り変わることを意味する。原因は自然と人間活動の両方があり、移り変わりの時間は月単位から数万年以上におよぶ。
 一方、「気候変化」(英語では「climate change」)は、気候の状態の持続的な変化を意味する。変化は気温や降水量などの統計量から検出されるもので、平均量(例えば、夏季の最高気温の平年値)の変化だけでなく、変動特性(例えば、猛暑や冷夏の程度や頻度)の変化も対象となる。変化の持続期間は典型的には数十年以上である。
 二つの概念は変化の捉え方に違いがあり、ある現象がどちらに属するかはその捉え方に依存する。原因や時間規模の使い分けもあるが、基本的には、移り変わりという動きに注目して、絶えず変化するものと捉えるのが気候変動、その動きの中のある状態に注目して、別の状態と対比して捉えるのが気候変化である。人間活動に起因する地球温暖化は、産業革命以前と比べて異なる気候の状態に変わることであり、その捉え方の場合は気候変化と言い表すのが適切である。

(注2)リーダーズ英和辞典 第3版に記載されている。

(注3)Online Etymology Dictionaryを参照した。

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