エネルギー未来技術フォーラム 「電力自由化時代の電気事業」

特別講演(福岡、広島)


撮影:中島繁樹

「自由化の水は甘いか辛いか」
 〜『ハゲタカ』作家が見た自由化への疑問

作家
真山 仁 氏


はじめまして。小説家の真山です。過分なご紹介をいただきまして恐縮しております。今月初めからNHKでドラマの放映が始まりました。幸運にも、自分のデビュー作が来年2月17日から毎週土曜日に6回にわたってテレビドラマになるのですが、小説1冊でそういうドラマができたり、こういう高い場所から電力にはど素人の私が『マグマ』という発電に関連した本を出したことでチャンスをいただけるようになりました。そういう意味で、何だか小説の不思議な力を日々感じています。

今日は少し扇情的な、「自由化の水は甘い辛いか 『ハゲタカ』作家が見た自由化への疑問」という仰々しいタイトルをいただいてお話しするのですが、私は読売新聞の記者であったことは間違いないのですが、記者時代、フリーライター時代に、金融関係、電力関係を取材した経験はほとんどありません。そういう人間が、いままでほとんど社会で描かれてこなかった経済の分野をあえて選んでずっと書いているのですが、そこで私がすごく大切にしていることは素人の目です。

多くの読者にとってすべての業界が素人で、この素人の目から業界の仕組みや社会の仕組み、会社の中身を見ますと、実は非常におかしいと思うのです。なんだこれというのがたくさんあるのですが、会社の中や業界の中にいると常識の罠や呪縛が非常にたくさんあり、なかなか呪縛から逃げることができません。

なんでこんなことが起きるのだろうと一所懸命に勉強もするのですが、そういう素人の疑問で物語をつくっていきますと、結果的に素人の方には身近だとお褒めをいただき、業界の方からはこういう考え方があるのかというようなお褒めも頂戴して、こういうところに立つこともできるようになりました。

今日の一つの大きなポイントでもあるのですが、この素人の目や常識を疑うことについてお話しさせていただきたいと思います。もしかすると、「なんだ、この素人が勝手なことを。業界の人の大変なこともわからんで」とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれないのですが、翻って考えていただきますと電力のお客様はすべて素人だと思います。そういう意味で素人の代表の一意見というのは、もしかしてこれからのビジネスに非常に大事なヒントになるかもしれないということで、発想の転換をしてお聞きいただければ幸いです。

いま、『ハゲタカ』のご紹介もありました。自分で宣伝をしましたので『ハゲタカ』からお話を始めたいのですが、私が『ハゲタカ』という小説を書いた当時は、ほとんどの方がハゲタカとは何かわからなかったのです。ホリエモンや村上ファンドのおかげで、ハゲタカと聞くと会社の株を買ってどんどんお金を儲けてどこかに行ってしまう悪いやつらという印象がありますが、これは先ほど申し上げた常識やイメージの誤りで、実際にハゲタカビジネスというのはアメリカで20年くらいの歴史があり、日本でいわれているハゲタカとは全く違います。

本来ハゲタカビジネスとは何かといいますと、にっちもさっちもいかないような会社の株を安く買います。あるいは、その会社の借金を銀行から安く買い、われわれがおたくの会社を再生しましょうというものです。ちゃんと会社を再生して経営者を入れ替え、場合によっては社員をリストラしたりもうからない事業部を切り離して、3年から5年を費やしてぴかぴかの会社にします。自分たちが手に入れた非常に安い株や債券を10倍20倍にして、もう一度市場で株として売ったりどこかのスポンサーに売るのです。廃品回収というと言い方が悪いかもしれないのですが、そういうビジネスがちゃんとアメリカにあり、日本でもハゲタカファンドと呼ばれている本当の人たちはそういう仕事をしています。

私が以前所属していた新聞社のトップの方が、「ハゲタカというやつらは許せん」「外資はみんなハゲタカばかりだ」と言ってしまったおかげで、新聞社のトップがいうことは正しい、ハゲタカ、イコール悪いやつで金の亡者のようなやつというイメージがあるのですが、イメージはこうやって勝手に走っていってしまいます。

小説では、本当にそうなのだろうかと探っていきますと、実はハゲタカにもいろいろなハゲタカがいて、その後ろでもっと悪い日本人がいたり、自分の責任をハゲタカに転嫁して自分は責任を逃れようという構図があったりします。イメージや言葉にだまされないことは、非常に大事ではないかと思います。

今年の2月に、朝日新聞社から『マグマ』という小説を出しました。これは電力の中でも比較的地味な地熱発電をテーマにした小説で、日本の中でいろいろな発電方法がある中であえて地熱を取り上げました。

ただ、地熱発電を取り上げるときに二つ工夫をしました。一つは、地熱を全然知らない外資系ファンドの女性を主人公にしました。これには理由がありまして、私がど素人で、専門家を主役にすると物語が成立しません。私が一所懸命に勉強してわかる範囲で、素人を主人公にするほうが、読んでいる方もこれくらいなら素人が勉強したらわかるだろうなというところで止められるという、つくり手の都合もあります。素人が主人公というのは、同じように電力って何だろう、地熱とは何だろう、自由化とは何だろうということを知るには受け入れやすいのです。私自身が調べていって抱いた疑問を、主人公が代わりに、「なんでそんなばかなことをやっているのですか」「どうしてこういう簡単なルールすらできないのですか」と自由に語ってもらえるには、電気の専門家でない人間のほうがよかったというのがあります。

さらに、主人公は外資系ファンドのトップにしたのですが、これも非常に重要な意味があります。外資系ファンドは、世間のイメージどおり非常に経営の数字に厳しいものです。ビジネスは、きちんとリスクをとってリターンを回収するのは絶対的な要素で、特にファンドの仕事は5年間でしなければいけない。もちろん人も事業も切りますし、言い訳は絶対に許しません。一方では自分たちが成功するために手段を選ばす、業界の常識をどんどん打ち破り、法律を変えさせるようなこともやるのですね。そうして切り開いていくと(電力)業界の中の人にとっては、こんなむちゃくちゃなことができるのかとなります。

地熱のいろいろな関係者の方にずっと取材をしたのですが、その間ずっと「こんなものができるのですか」と言われたのですが、おかげさまで何とか本はできました。「大丈夫ですか」といわれた地熱の皆さんに、「これはできると思いませんでした」と言われるくらい、非常に喜んでいただきました。

大事なことは何かというと、素人の目で、なかなか切り崩せない業界や昔からある商慣習を少し切り口を変え考え方を変えると、新しい考え方や常識を逆手に取る方法がたくさん出てくるのです。そういう意味で、ぜひご参考にしていただければと思います。

ただ、地熱発電の小説である『マグマ』を書いている途中で、重要な課題が自分の中で出てきました。発電の部分に関してはいろいろと取材でわかってきたのですが、電力は発電しても買ってもらわないと意味がないのです。しかも、買ってもらって、企業としてもうからないとファンドとして困ります。

何しろ電力も素人ですから全然わからなくていろいろ調べた結果、自由化を利用してどこかに売るしかないと思ったのですが、調べると自由化がよくわからないのです。何冊も本を読んだのですが、いったい何が言いたいか全然わからなくて、自由化しようとしているのか、自由化している人は何を自慢しているのか。言いたいことが不明で問題点はどこにあってどうすればいいのか、まったくわからないのです。

私は自分が自由化する経営者になろうと思って読むのですが、これはどうやれば本当に買ってもらえるのか、全然わからなかったのですね。そうなると、たぶんこれは自分でルールをつくったもの勝ちではないかと思いまして、ある程度このへんは目をつぶって、自由化という前提を利用すればいいと素人の主人公に言わせているわけですが、一つの方法を考えました。

それは、値段で勝負するなということです。ご存じだと思いますが、特に地熱発電というのは、決してコストパフォーマンスがいいわけでありませんので、値段で勝負をしたら勝てるわけがありません。では、どうすればいいかというと、どういう電気を使っているかをぜひPRしようとなりました。

特にいまは、地球環境をすごく大事にしているメーカーや企業がたくさんあります。そういうところに、どうして電気ができる原点まで大事にする電気を使おうとしないのかというキャンペーンをします。小説では具体的な名前を出していませんが、たとえばトヨタ自動車やソニー、ディズニーランドを運営している会社のトップに営業にいきまして、「御社こそこういう電気を使って、もっともっとクリーンな日本をアピールしてください」という営業の仕方をやらせるわけです。

これは簡単にいくわけはないのですが、小説ですから簡単にいきました。実はこれでもう一冊くらいできるのですが、いかんせん枚数の問題や締め切りの問題などいろいろあります。「そこが一番読みたかった」といろいろな方に言われたのですが、そこは魔法のようにうまく話が成立したのです。しかし問題は、魔法のようにうまく成立したところでありません。

何かというと、地熱発電のような超マイナーな発電方法で、自由化というのはありえないと思うのです。ありえないのですが、それがもしあるとしたときにどうすればいいか。そのときに大切なのは、既存のルールで勝負しないということが一つの考え方として皆さんの参考になるのではないかと思います。手前味噌ではあるのですが、『マグマ』はそういう小説です。もし興味があれば、ぜひ読んでみてください。

素人の目が大事というのはなぜかというと、常識を疑うことだと申し上げました。この常識を疑うというのは普段皆さんよくお使いになるのですが、どういうことかがわからない。どうしてかというと、会社の中で自分たちが普段やっていることが常識だという意識がないのですね。みんなやっているじゃないか。だから、それを当たり前にやっているのです。

社内の常識は社会の非常識であるとよく言われます。ですから、同じ会社の方たちとばかり飲みに行くのではなくていろいろな業界の人たちとお話をされると、いかに自分の会社、業界がとんでもないことをやっているかがおわかりになるのではないかと思います。逆にいろいろな社会や国を書いてある本だとか、ドキュメンタリーや映画でもドラマでもいいと思うのですが、そういう中で物語を追うことが大事です。男女の恋愛を追うことも重要なアイテムですが、会社の仕組みをご覧になるときに、そういう考え方もあるのか。自分のところはどうだろうという目を持たれると、随分考え方が変わると思うのです。

こういうことは昔から言われていたことですが、昔は常識を疑う必要がなかったのだろうと思います。どうしてかというと、多くの人にとって社会の中の一員であることは非常に重要で、その中でこれはおかしいでしょうということは、そちらのほうが本当はおかしかった時代が長かったからだと思うのです。それが、だんだんそうではなくて、何でも自分で決めましょうと、いろいろなことを選ぶことができるようになってきました。

その中で、一つのルールとして常識というのが出てきました。いろいろな考え方がある中の共通認識として、常識がなければ前に進めない時代になってきているのです。都合のいいことを常識だと誰かが決めてしまうと、それが常識になってしまうという怖い部分があると思いますので、本当にそうなのかなという目はすごく大事だと思います。

先ほど、矢島さんが、アメリカの自由化の例をお出しになっていらっしゃいましたが、われわれはアメリカにグローバルスタンダードだと言われて、はいはいとやります。しかし、アメリカであれだけ好き勝手に自由化をやっているわけで、アメリカという国は一つではないのです。グローバルスタンダードなんてとんでもなくてアメリカンスタンダードだと言われているのですが、実はアメリカ全体のスタンダードではないのです。

つまり、われわれはアメリカ、ヨーロッパがみんなそういうのだったら、日本も同じようにしなければいけないと思っているのです。日本というのは均一を好む国で、周りを見ながらバランスを取ることを非常に大事にしますから、そういう言葉に振り回されてしまいます。でも、本当は違うことのほうが多いのです。このへんも、先ほどの常識を疑うという意味では、何となく右から左に流すことのほうが実は危ないことが多いのではないかと心に留めていただければと思います。

その常識の中で、今日の常識の一つとして考えていただきたいのは自由という言葉です。われわれは自由をプラスの意味としててらえ、いいことだと思っている人が非常に多いと思いますし、私自身もそうです。しかも、新しいと思っている人も多いと思います。

自由は確かにハッピーなことだし、非常に大事なものです。失ってはいけないものだと思うのですが、ではたとえば自由化になったとするとこれはウエルカムなのか、本当に自由はいいことなのかというと必ずしもそうではありません。自由というのは好きにやっていいということであり、その言葉の裏にあるのは、だれも助けないけどねということです。つまり、自分でちゃんと後始末ができる人でなければ、自由は非常に怖いものだという部分があると思うのですね。ただ、なかなかこういうことは世間では言われません。日本は、特にマスコミの人たちはプラスの部分しか言わないので、裏の部分からいうと自由は決して諸手を挙げてラッキーなものではないと思います。

私は、読売新聞を辞めてフリーのライターになりました。フリーライターですと言うと、だいたい「かっこいいですね」「何でも自分のやりたいものをあちこち飛んで行って、取材できて、すごくいい仕事ですね」とよく言われました。とんでもありません。読売新聞記者の読売新聞という肩書きがなくなっただけで、「おたくはだれだ?」「何をしにきたんだ?」「何で取材を受けなければいけないんだ」と、ほとんど門前払いされます。普通フリーライターはどこかから依頼をされて、「どこどこから依頼をされてお邪魔をした何々です」という長ったらしい説明をしないと、取材一つ受けてもらえません。

さらに、多くの人は「やりたい仕事だけやれて楽しいですよね」と言うのです。できる方はわかりませんが、フリーライターをやっている多くの人は、100のうち99はとんでもなくいやな仕事です。それをなぜするか。簡単です。フリーになってしまって、会社から給料がもらえず守ってもらえないわけですから、自分で自分の生活費を稼ごうと思うと、いやな仕事でも続けなければやっていけないのです。これが、自由の裏側にある意味なのです。

フリーターや自由業は最近化けの皮がはがれ始めましたが、自由っていいなという部分はたくさんあります。でも、実は自由というのは、本当に自分で落とし前をつけることができるのかという部分を考えると、決していいものではないのかもしれないと思います。

では、自由ではなくて規制がいいのか。私はそうは思いません。第二次世界大戦のころ、ドイツでヒトラーが出てきた時代に、有名な社会学者でエーリッヒ・フロムという方がいて、『自由からの逃走』という有名な本をお出しになりました。彼はその本の中で、いま私が申し上げたフリーライターの引き合いと同じなのですが、自由とは孤独と無力感を生む、だから自由というのは非常に厳しいものなのだというふうに自由の怖さを嘆いているのです。それが結局ヒトラーを生んだのだと。

自由は孤独で無力感を生む。だから自由はつらいな。だったらだれか、俺たちがどうやって生きたらいいかわかる方向を教えてくれよというふうに、ドイツ人がみんなある方向に向かった先にいたのがヒトラーだったのです。そのときにフロムは、本当に自由が大事だと思うのだったら、自由から逃げてはいけないと述べています。つまり自由はつらいものではあるのですが、守るべきものなのですね。つまり、人間というのは選択して自由を持ってこそ人間ではないかと思います。

さらにもう一つ引用しますと、『青い鳥』という有名な童話を書いたベルギー人のモーリス・メーテルリンクという人がいます。この人は養蜂家としても非常に有名で、その昆虫の生活を描いた三部作でノーベル文学賞をお取りになったのですが、その中で『ミツバチの生活』という、本当に微に入り細に入りミツバチを観察して、それを人間の社会に置き換えた本を書いていらっしゃいます。その中でメーテルリンクは、自然界の中で選択の自由を持っているのは人間だけだと書いているのです。さらに、人間だけが自然の法則に従わない能力を持っていると。

この、自然に従わないというのがすごく重要なのです。つまり、人間以外の動物は、常に自然の法則に従った選択しかできないプログラムがされているのです。ミツバチはまさにその典型ですが、人間だけはそれにあえて背を向けて、自分たちで自然をコントロールしようと努力をします。その能力を持っているとメーテルリンクは言っているのですが、ただそこからが重要で、この能力を使うのが正しいかどうか判断する能力もあるとしています。これが人間道徳の最も重要で解明されていない点となっていると。

この本が登場したのは1900年の初頭で、先ほどのエーリッヒ・フロムの出た本とあまり変わらない時代です。ヨーロッパ人はこの時代に、これから自由になった人間がどうすればいいのかと考え始めていました。そういう意味では、いまの電力業界と同じ状態ですね。自由になって前に進むのか、それともこのまま規制の中でやっていくのか。どちらがいいのかを選択する力が、すごく大事だと思います。

私自身は、正直申し上げていま電力を自由化すべきなのかどうかというちゃんとした意見はないのですが、いままでの『ハゲタカ』の取材の中で人から教わったことがあるので、あえて自由の中で勝利するポイントをご披露しようと思います。特に後発の方が、自由の中で勝利するには何が必要かというと、自分でルールをつくることです。

先ほども言いましたが、日本は常識とか商慣習などのさまざまなしがらみが非常に大きい社会です。後発するときにそのルールの中で勝負をしても、絶対に勝てないと思います。たとえば「明日からわが社は自由化します」という会社が原子力発電をつくるといっても、これは勝てるわけがない。ありえないと思います。

既存のルールの中で勝負をしたら、最初から勝負は決まっています。では、どうやって自分たちでルールをつくっていくのかですが、なかなか難しい。だいたいの日本人はこれで諦めるのですが、日本の金融界を席巻したアメリカの外資系の企業は、ここを徹底的に研究してきたのです。ご存じのように、彼らはアメリカだけではなく世界中の金融界をほとんど牛耳っていますが、俺たちはアメリカだ、ユダヤだ、スイスだと言っているわけではありません。それで、「さあ、どうぞ皆さん、うちの金を使ってください」と言われたわけではないのです。

彼らはまず、徹底的にそれぞれの国の法律を調べます。この国の法律のどういうところに弱点があるのか。自分たちのルールではできなくても、この国の法律を使えばこういう部分はまだ大丈夫ではないか。あるいは法律の解釈がどうなっているのか、判例はどうなっているのかと、スタッフとさまざまな研究を行って法律の穴を見つけます。もしその穴が見つかったら、その穴を徹底的に使って新しいルールをつくっていきます。

さらに今度は、商慣習とされている、いわば法律にはないものの研究を始めるのです。このルールであれば俺たちは勝てない。では、このルールとは違うもっといい方法を考えようではないかとなります。そうやって彼らは独自のルールをつくり始め、いままでと別に、日本の営業とは180度違う営業の仕方をします。

日本だと、まず営業の人が窓口に行って「みずほ銀行の何々ですが、こういうセクションのご担当者はいらっしゃいますか」とやりますよね。たとえばゴールドマンサックスはそうではない。「社長さんはいらっしゃいますか。われわれはゴールドマンサックスの何々です」と、会うまで行くわけです。「御社が来年10%の財務の利益を挙げるために、すばらしいアイデアを持ってきました」と会うまでずっとやるのです。そこまで言われるのだったら会ってみると、彼らはいままでにない新しい提案をするわけです。そうすることによって、いままで開かれなかった門が開く。いままでのように一番下から上げていくと、「こんな話を上に通すのはまずいでしょう」とどこかで終わるのですが、それをわかっているから上からいくのです。

これは投資信託部門ですが、ゴールドマンサックスは日本の4大証券の持っていたシェアをあっという間に全部取ってしまい、独占に近いくらい勝利を収めたという例もあります。まず針の穴でどこでもいいから穴を開け、その中からさらに自分たちでルールをつくっていままでと違うやり方を徹底的にやることが、最終的に新しいルールを生むのです。

変な話ですが、とんでもなく弱いプロ野球チームがあってもルールをつくるのがうまいところがあったら、自分たちの有利なようにボールの重さや大きさを変えるだけで勝利できるのであれば、もしかしたらそれが優勝へ導く一つのきっかけになるかもしれません。それはずるいと言われますが、ルールを変えましょう、こういうふうにしましょうという規定さえ新しくつくることができれば、決してそれはずるいことではなく、恐らく欧米では賢いことだと言われるのだと思います。

きれいごと、汚いことという言葉があります。日本は善悪がすごく大事ですよね。いつも水戸黄門が来て、最後にきれいにしてくれます。ただ、その一方でなぜあれが皆さんツカッと気持ちいいと思われるかというと、世の中そういうものではないからです。日本というのは、恐らく世界でもっともグレーの多い国だと思います。白も黒もない。でも、日本人は白とか黒は好きですよね。だから、グレーのものをできるだけ白くしてくれるように言ってくれる言葉、イメージを好みます。

「アメリカの言いなりはイヤだよ」と言っても「グローバルスタンダードです」と言うと、「世界中がそうだったら、それはいいよね」という、限りなく黒っぽいグレーを白にしてくれる。あるいは、「えー、ホリエモン。そんなに金ばっかりもらって、ネクタイもしないでTシャツで、あんなに汚いやつに金持ちになってほしくないよ」と思っているときに、逮捕しちゃいましょう。黒です。こういうものが非常に好きなのです。しかし、実は本質的に世の中に白も黒もない。ある人にとって真っ黒なものがある人にとって真っ白だったりすることは、恐らく皆さんも非常によくご存じだと思います。

大事なことは、グレーの中でどれだけ自分たちが上手に、ときに白、ときに黒に持っていくか。それをきれい・汚い、ずるい・悪いというかどうかは、最終的に法律に違反しているか、あるいは道徳的、倫理的におかしいかという部分まで踏み込んだときに初めて議論されることではないかと思います。

もう一つ、ハゲタカや一連の企業買収騒ぎの中で大切だったことがあります。それは何かというと、世間を味方にすることです。『バイアウト』という小説の中でも少し書いたのですが、日本で非常に優秀な企業買収をしている方に、企業のM&Aを成功させる中で一番重要なのは何かと聞いたことがあります。「それは世論を味方にすることだ」と即答しました。つまり先ほどと同じで、この買収はどちらのほうが正しいかです。企業の買収に正しいも正しくないもないのです。でも、メディアやいろいろな方法を使って、あちらの会社のほうが正しいと思わせる。たとえば阪神電鉄を村上ファンドが買うのか、阪急電鉄が買うのか。これはどちらが正しいかをどうクローズアップするのかです。

わかりやすかったのが、TBSが楽天に買収されようとしたことです。まだ最終的な決着がついていないのですが、実はターニングポイントがありました。楽天の三木谷さんがTBSを買うと言ったときに、あまり大きな声で言えないのですが、業界では、これでもう一度元気なTBSに戻れるのではないかと、特にTBS局内では歓迎ムードもあったのです。報道のTBS、ドラマのTBSといわれた、強いTBSに戻れるのではないかという期待も少しありました。三木谷さんもイメージが大事だと思って、一所懸命に私たちのほうがいいTBSになるのだというアピールをしたのです。

ところが、ある記者会見でメディアからさんざん言われて、ついぽろっと「欲しいものを買って何で悪いんだ」と言ってしまい、この瞬間に楽天の負けが決まりました。私は三木谷さんになれませんが、あの時本当に三木谷さんのそばにいいアドバイザーがいれば、こう言わなければいけないのです。「私は子どものころからTBSが大好きで、ドラマ、報道が大好きだった。それがいまはどうですか。こんなによくわからない放送局になって、皆さんは見ていて悲しくないですか。私が社長になれば、日本で一番おもしろい民放にします。日本でもっとも鋭い報道ができる放送局にします」。こう言い続けたとしたら、たぶん世論は楽天に売りましょうとなったはずです。ところが結局そうではなくて、「お金持ちじゃん、あいつ」というイメージをつくってしまったわけですね。その瞬間、勝負は決まりました。

自由化と企業買収はさほど大きな関係があるわけではないのですが、先ほど申し上げましたように世論を味方にするというのは、電力会社も重要なことだと思います。利用者は皆さんまさに世論を形成されている方ですよね。恐らく電力にとって、イメージはそれほど大きな問題ではなかったのかもしれません。ただ、幸か不幸か競争の原理が始まった以上、電力会社のイメージは大切で、先ほどの地熱発電の小説のときに使ったような、この電気は使いたくないのだというイメージを持たれてしまうと、意外なことが起きるかもしれません。

そういう意味では、いままで広報やPRや宣伝、あるいは社会貢献というのは金をどぶに捨てるようなきれいごとだと思っていらっしゃった方がたくさんいると思いますが、これからここを間違うと、どれだけ本業ですばらしいことをされても、会社はそう遠くない将来に大きく違う方向に傾くのではないかと思います。それくらい、いまの時代の世論は大事だと思います。

先ほど『マグマ』の自由化の話をしましたとおり、自由化になったときに議論をする場合に、どうしても先ほどの常識やイメージからすると、マスコミで言われていることや広報で発表されていることを前提として議論されることが多いと思います。コストであるとか停電になったらどうしますかというマイナス要因ですね。そういういろいろな情報が小刻みに出て利用者が迷ってしまい、結果としてそれなら元へ戻ったほうがいいよという議論になってしまいます。

先ほど言いましたように、私は自由化自体が本当にいいことなのか悪いことなのかわかりません。それはこれから、利用者、電力に携わる皆さんがいろいろなお考えをぶつけ合いながら答えを出していくものだと思います。その中で、表面的な非難合戦やたとえば既存の大手電力会社がモグラの頭を叩くように、どこかが頑張って出してきた知恵をつぶす。これは確かに非常にいい戦略かもしれませんが、本当に得かどうかを考えていただきたいのです。こんな細かで小さいものはそういうところに任せましょうということも、本当はルールなのです。そもそも公共性の高い電力としてやるべきことは何なのか、古い側にいる方にとっても自分たちのルールは何かということを考えたときに、目先の利益で勝負を決めるのではなくて、やはりいろいろな課題、問題点を考えていくことです。

本当は両方にハゲタカが飛んできて、われわれが自由化をよくするための知恵をつけましょうかとなればもっと激しくなるのでしょうが、本来そんなことは社内でできることですよね。ただ、しがらみがあるとか慣習があってなかなか動かなかったことです。

自由化というのは一つの風で、それがいい風になるのか、あるいはどんどんお腹の中でふくらんでいって破裂してしまうのか。それとも、日本人の大好きな「なかったことにしよう」ということになるのか。そういうことを日本はずっと繰り返してきて、結局あまりいい結果を生まなかったと思います。両方にとって、いい自由化とはいったい何なのか。どうなると意味がないのかという議論を出し尽くした段階で、こういうことになりましたというふうにぜひ頑張っていただきたいと思います。

できるだけ情報を出していただいて、利用者であるわれわれ消費者が選択する自由をちゃんと持てるようなステージの中でやっていった結果、最終的には一番いい状態が必ず答えとして出てくると思います。それを一部の情報や何となく手打ちをしているかたちで中途半端なことをやってしまうと、それはそのときどちらかの方にとってプラスになっても、最終的にはすごく大きな不幸を負うことになります。それはたぶん、そのとき勝ったと思っていた側の人にも、たぶん巡り巡ってくるはずです。

これは、われわれがバブル崩壊を経験したときに味わったことなのですが、なぜか日本人というのは熱きに懲りないのですね。そうならないように、本当に議論と試行錯誤をやって、ときに敵になり、ときに味方になり、ときに利用し合っていただきたいと思います。ウィン・ウィンという言葉がありますが、私はあれが嫌いで、両方勝ったらだれが負けるのだと思うのです。そういうきれいごとではなくて、ときに勝ちときに負ければいいと思います。その中でお互いのいいものを出し合ってすみ分けることが大切です。

先ほどのメーテルリンクではないですが、地球の中の生態や生き物はそれぞれのすみ分けをし、最終的に生き残れたものが残っていくことによって成立してきたわけです。そろそろこの国も原点に返って、そういうすみ分け、あるべきものが自然にそこにとどまっていき、必然的な結果が出るような社会ができればいいなと思います。

民営化したり規制緩和されたものはいままでもたくさんありましたが、どれを見ても本当によかったのかと思いますし、本当に民営化したのと言いたいところもたくさんあります。そういう意味では、ぜひ電力業界が見本を見せていただければ、今日ここで偉そうに言った私も、少しくらいはお役に立ったのではないかと思っております。どうもありがとうございました。


(財)電力中央研究所広報グループ