電中研NEWS

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第二次世界大戦中、瀬戸内海で謎の爆発により沈没した戦艦「陸奥」。この艦体の一部を、研究設備として電中研が所有していました。この度、電中研での役割を終えた陸奥鉄を大和ミュージアム(広島県呉市)に寄贈し、展示いただきました。

  

「陸奥鉄」が歩む第三の人生(1)

瀬戸内海で謎の爆沈… 戦艦「陸奥」の一部が電中研にあった!

「陸奥」は1921年の竣工時、世界最大・最速を誇る、当時の日本海軍を象徴する戦艦だった。ところが第二次世界大戦中の1943年、山口県岩国市の沖合で停泊中に原因不明の爆発を起こし沈没した。

1943年、瀬戸内海で謎の爆発により沈没した戦艦「陸奥」

戦後しばらく陸奥は海底で眠っていたが、1970年から8年かけて艦体の大部分が引き上げられるとその多くは鉄屑として再利用され、船首や砲身、錨(いかり)などは全国各地で展示された。この時、船体側面や主砲塔などを守るのに使われていた装甲板が意外な用途で再び脚光を浴びる。

被弾などに対する防御力を高めるのに使われていた陸奥の装甲板
(大和ミュージアム所蔵)

超高品質!陸奥鉄が研究者たちに愛された理由

戦後、製鉄用の溶鉱炉には炉内の摩耗度を調べるために放射性物質のコバルト60が練り込まれていたため、これらの溶鉱炉で製造された鉄も微量のコバルトを含んでいた。当時は放射線測定技術が発展の途にあったが、このコバルトを含んだ鉄は放射線測定装置に用いる遮蔽材としては不適格だった。

一方、陸奥鉄のように戦前に作られた鉄は放射性物質をほとんど含まない。さらに陸奥の装甲板は非常に分厚いため、微量放射線を高精度に測定する際、ノイズとなる周辺環境からの放射線を遮蔽することに適していた。こうして陸奥の鉄は精密な放射線測定を専門とする研究者らに重宝され、「陸奥鉄」の愛称で親しまれた。

電中研でも陸奥鉄を遮蔽材とする放射線測定装置が活躍していた

電中研も陸奥鉄を使った放射線測定装置を2つ所有し、環境試料の放射能濃度評価、クリアランスレベル測定装置の開発研究などに活用してきた。

陸奥鉄「第三の人生」、大和ミュージアムで展示開始

電中研で研究設備として長らく電気事業に貢献してきた陸奥鉄だが、新しい測定装置で代替できる見通しが立ったため、設備の廃止と撤去が決まった。歴史的価値を鑑みて研究機関やメーカーなどに引き取りを打診したところ、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館、広島県呉市)から引き取りの希望があった。

「陸奥鉄が放射線の遮蔽材として使われていることは以前から解説パネルで紹介していましたが、実物を所蔵していませんでした。お話を聞いた時は驚きで、『まさかあるとは』といった感じでした」(学芸員の久保健至さん)。

おりしも大和ミュージアムは当時リニューアルを予定しており、新設予定の科学技術展示室と研究設備として活用してきた陸奥鉄の親和性が高く、また移設作業の見通しも立ったため、同館に寄贈・展示されることとなった。

放射線測定装置として活躍していた姿をそのまま展示している

大和ミュージアムのリニューアルオープン(2026年4月23日)に伴い、陸奥鉄を使った放射線測定装置は同ミュージアム3階の科学技術展示室で公開が始まった。 展示では、ゲルマニウム(Ge)半導体検出器や液体窒素タンクとともに、電中研が陸奥鉄を研究設備として使っていた様子を再現している。

戦争と研究の最前線を渡り歩き、このたび歴史と科学技術、平和の大切さを伝える展示物として活躍することとなった陸奥鉄の「第三の人生」をぜひご覧ください。

(No.497/2026年4月23日)