社会経済研究所

社会経済研究所 コラム

2018年8月16日

読書日記(7):「階級」の固定化という現代社会の病

社会経済研究所長 長野 浩司

 2018年7月は、西日本をはじめ、全国各地を異常な集中豪雨と台風が次々に襲った、記録にも記憶にも残る月となってしまいました。被災された方々やそのご家族の皆様に衷心よりお悔やみとお見舞いを申し上げるとともに、復旧復興に全力を注いでおられる方々に深甚の敬意を表します。

 私も、7/5-6に広島にお邪魔しており、降り付ける雨と荒れ狂う川面を垣間見るとともに、間一髪で帰京しましたが、訪問メンバーの中には、広島空港に辿り着けず足留めとなった者もおりました。大自然の猛威の前に何ほどのお役に立てるか、心許ない限りではありますが、もし私ども研究所がお役に立つ機会や場面がございましたら、お声がけを賜ればありがたく存じます。

〇デジタル化の影の側面

 当コラム(注1)で、私は、「デジタル化がもたらす影の側面」に注目したいと申しました。人間が負っていた生産活動の一部、あるいは大部分、を機械が取って代わることにより、生産効率もエネルギー効率も向上する、その果実を人間は遍く享受する、というようなイメージが、デジタル化の明るい側面として語られることが多いと思います。しかしそのとき、人間は何をすればその「果実を享受する」ことを許されるのでしょうか。機械にはできない、人間にしかできない特殊な技能を要する労働ができる(恐らく一握りの)人々は別として、その他大多数のごく一般の人々の中には、デジタル化が促す社会の変容に着いて行けず、その結果放置すれば収入そのものを得る術をも失い、社会の最下層に追いやられ、その存在すらも忘れ去られてしまうことになる層(本稿の用語を用いれば、階級)が生まれてしまうことにならないでしょうか。

 もしそのような結果になったとしたら、社会の最下層で忘れ去られかねない人々を救うには、どうしたら良いでしょうか。ポイントは3つあると思います。第一に、人々がデジタル社会の中でいかに収入の糧(言い換えれば、デジタル化の果実を享受する資格ないし権利)を確保できるか、あるいは社会がそれを保障するか。第二に、(農業や製造業といった、地面に足を着けて行われる生産活動と異なり)地理的制約を越えて、あるいは電子空間で生み出されるデジタル化の果実を、政府がいかに捕捉し課税するか。第三に、捕捉と課税により吸い上げた果実を、デジタル社会の隅々にまで再配分する機能をどう担保するか。

〇「アンダークラス」という新たな階級の出現、とその固定化

 橋本健二「新・日本の階級社会」(注2)は、読んでいて空恐ろしくなる本です。かつて「一億総中流」が流行語となるほどに均質性が高かった日本社会が、1980年頃を境に格差の急拡大を辿ったこと、そこでは「中流」階級の分解が起こっており、現在の日本社会は「資本家階級」「新中間階級」「正規労働者」「旧中間階級」に加えて、それらの階級からこぼれ落ちた「アンダークラス」なる階級が出現し定着してきていることが、統計データに基づいて提示されます。

 各々の階級の詳細な特徴は本書に譲りますが、「アンダークラス」とは(いわゆるパート主婦を除く)非正規労働者であり、平成24年時点で既に900万人を超え、就業人口の約15%を占めるに至っています。アンダークラスの特徴は、女性比率(40%強)の高さ、平均個人年収(200万円弱)・平均世帯年収(350万円弱)の低さ(その結果としての貧困率の高さ)等に加えて、男性の有配偶者の少なさ・女性の離死別者の多さです。さらに、仕事や生活への満足度の低さ(自らの境遇に対する不満の強さ)なども顕著です。

 恐ろしいことは、最終学校を中退した、就職後すぐに就職できなかった、学校でいじめを受けた等の経験を持つ人々の比率が、いずれの階級よりも高い傾向にあり、これらがアンダークラスへの帰属の原因の一部であることを示唆しているとともに、帰属の結果として心身の健康状態も最も低い階級となっています。そして、これら階級が「固定化」、つまり資本家階級の子女は資本家階級に属する可能性が高い、ある階級から他の階級への移動が容易でない、などの傾向が見られている点です。とくに、アンダークラスに属する人々がそこから逃れ出ることの難しさが、本書後半で詳しく分析されています。

 中国では、同様の「アンダークラス」として、大学を卒業するも定職に就けないまま、都市部とその周辺で最低水準の生活を強いられている「蟻族」(注3)という階級が、2000年代後半から出現したそうです。日本の状況は若干異なるとは言え、その階級が社会の中で固定化してしまい、状況を変更する術が見出し難いあたりは、共通する病状と言えるかも知れません。

〇アンダークラスの出現をもたらした「非正規雇用」

 蟻族もそうですが、アンダークラスに属する多くの人々が、いわゆる「非正規雇用」の立場に甘んじることを強いられています。玄田有史「雇用は契約」(注4)によれば、「非正規雇用」なる明確な定義があるわけではなく、「正規雇用」との境界は実はかなり曖昧であり、重要な点は「契約期間」が有期か無期かであるそうです。正社員でも有期契約の形態があり得る一方で、非正社員でも無期契約の形態があり得る(注5)そうです。

 問題は、短時間勤務の非正社員で、有期雇用の形態を取る場合です。著者は、人によって多様な働き方があり得べしとの原則に則り、「一般時間勤務/短時間勤務」「無期契約/有期契約」の選択に自由度があるべきである一方で、「短時間勤務・有期契約」の解消を提唱しています。

〇固定化する階級の壁を打ち破る槌はあるか?

 冒頭に述べた、デジタル社会の片隅で忘れ去られかねない人々の救済に向けた3つのポイントのうち、第二の捕捉と課税については、デジタル空間の技術特性を活用した解決策があり得ると思います。では、第一と第三の点についてはどう考えたら良いでしょうか。

 一つの原則を提示するのが、政府が全ての国民に対して最低限の生活を保障する一定額の現金を定期的に支給する制度、いわゆる「ベーシックインカム」です。最近注目を集め、良書が多く出ているようですが、その中でブレグマン「隷属なき道」(注6)は、副題「AIとの競争に勝つ・・・」とあるように、デジタル化の影の側面を克服するための具体策を提示します。本稿の主旨に直結する本書第8章タイトルで主張するように、人類は「AIとの競争には勝てない」とし、『AIとロボットが「中流」と呼ばれる人々の仕事を奪う』(本書p.207)、すなわち冒頭に述べたイメージでの『不平等は広がり続け』ることを指摘した上で、技術進歩の恩恵を遍く享受する『最後の手段』としての『再分配』すなわち『ベーシックインカム(金銭)と労働時間の短縮(時間)はその具体的方法』(同前)であると主張しています。

 ベーシックインカムのあり方については、私も勉強を始めたばかりですので、まだ確たる結論を見出せていません。ほかにももっと有効な施策があり得るのかについても検討を深めた上で、いずれ改めて筆を執りたいと思います。

  • 注1:社経研コラム『2018年頭のご挨拶:「目標」を持つこと、変わり行く社会の将来像を見通すこと』
  • 注2:橋本健二「新・日本の階級社会」講談社現代新書(2018)
  • 注3:この語及びその存在を初めて世に知らしめた、以下の書を参照下さい。廉思「蟻族―高学歴ワーキングプアたちの群れ」勉誠出版(2010)
  • 注4:玄田有史「雇用は契約−雰囲気に負けない働き方」筑摩選書(2018)
  • 注5:期間の定めのない雇用契約で働く非正社員(映像・音声・文字情報制作業、職別工事業、理美容業、医療業など:一定の専門的能力を要するため、雇用主も安定的な人材確保を求める)が存在する一方で、有期契約のうち、短期間契約で働くいわゆる短期雇・日雇や、5年を上限とする有期の一般常雇(専門的な知識、技術、経験に基づく高度な仕事に従事する(と厚生労働大臣が認める)場合、満60歳以上の場合など)が存在するなど、雇用契約形態の多様化の実情が本書で明示されています。
  • 注6:ルトガー・ブレグマン「隷属なき道−AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」文芸春秋(2017)

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