要約
2022年8月16日、米国で「インフレ抑制法(Inflation Reduction Act of 2022)」が成立した。同法は10年間で財政赤字を約3,000億ドル削減することで、インフレの減速を狙う。内訳を見ると、法人税の最低税率の設定と処方箋薬価の引き下げ等によって、財政赤字を約7,370億ドル減らした上で、それを原資として「エネルギー安全保障と気候変動」の分野で、税控除や補助金等を通じて、3,690億ドルを投じる。本稿では、インフレ抑制法の概要を「エネルギー安全保障・気候変動」部分を中心に整理した上で、同法の脱炭素化政策としての特徴、米国の温室効果ガス削減目標の達成に与える影響及び政府による10年間で20兆円の脱炭素化支援を検討する日本への示唆を考察する。
3,690億ドルの4割強(1,603億ドル)がクリーン電力に対する税控除である。再エネ発電等の事業者に課せられる税金を控除することで導入を後押しする。原子力発電に対しても、2024年から2032年まで税控除が適用される。クリーン電力の導入を支える製造業への支援も手厚く、太陽光パネル、風力タービン、蓄電池等の生産や重要鉱物処理に税控除を認め、10年間で306億ドル程度を想定する。消費者が電気自動車や燃料電池車を購入する場合や、住宅に再エネやヒートポンプを導入する場合にも、税控除が適用される。それぞれ、10年間で89億ドルと365億ドルを見込む。炭素回収貯留(CCS)は、火力発電や素材産業の脱炭素化に寄与するが、既存の税控除を延長・拡大し、支援規模は10年間で32億ドルと推定される。様々な部門の脱炭素化に必要なクリーン水素に対しても、ライフサイクル排出量に応じた税控除が認められる。10年間で132億ドルの控除を見込む。税控除以外にも、農村における再エネ電力導入支援(10年間で126億ドル)、気候対応型の農業への支援(10年間で153億ドル)、公的機関・非営利団体を介した間接支援の基金(10年間で200億ドル)、既存エネルギーインフラ(閉鎖施設を含む)に対する融資保証(10年間で35億ドル、融資保証枠は2,500億ドル)、環境・気候正義の包括的補助金(10年間で30億ドル)といった補助金・融資保証等が含まれている。また、石油・ガス部門のメタン排出については、削減への補助金(10年間で16億ドル)と排出課金(10年間で64億ドルの収入)が盛り込まれた。
インフレ抑制法における気候変動対策の主たる政策手法は税控除、特に発電量や生産量に比例する生産税控除であり、理論上は生産補助金と同様の効果を持つ。一部については投資時にまとめて控除する投資税控除も選択可能である。炭素税や排出量取引のようなネガティブインセンティブは石油・ガス部門のメタン排出課金に限定され、ポジティブインセンティブが中心となっている。税控除により、従来技術とのコスト差が小さくなれば、新技術の導入が加速する。
インフレ抑制法の成立により、2030年の温室効果ガス排出量が2005年比で約40%減になると見込まれる。米国がパリ協定の下で掲げる目標(50~52%減)には届かないが、未成立の場合、23~30%減に留まったと推定されており、目標達成に向けて大きな前進となる。今後は、残りの10%分を、規制や州の取組で、どう埋めるかが課題となる。
日本政府は、10年間で官民で150兆円規模の投資を行い、このうち、政府が20兆円を投じる構想を検討中であるが、20兆円という規模は、GDP比・人口比を考慮すれば、米国の支援規模と遜色ないと言える。投資先に関しても、日米で概ね同様(電力の脱炭素化、クリーン自動車、建物や製造業の低炭素化・脱炭素化等)である。他方、米国のインフレ抑制法案は全体で財政赤字を縮小するが、日本の構想では、裏付けとなる将来の財源を確保しつつ、GX経済移行債(仮称)で政府資金を調達するとされており、時間差を伴う形で収支を均衡させる形となっている。米国の法案は、審議の結果、「法人税率の最低税率の導入」と「処方箋薬価の引き下げ」等が財源として残り、「エネルギー安全保障・気候変動分野」等が投資先として残って、財源がエネルギーや炭素と直接的には紐づかない形となった。日本の構想において、投資先と財源の関係がどうなるかは、GX経済移行債の償還財源次第である。
※本ディスカッションペーパーは、「米国「インフレ抑制法案」における気候変動関連投資」(SERC Discussion Paper 22007)に対して、各種の税控除の内容と要件を追記した上で、インフレ抑制法の脱炭素化政策としての特徴に関する考察を加筆したものである。資料は関連情報を参照。