原子力技術研究所 放射線安全研究センター

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低線量放射線影響の総合的な研究推進と情報発信

平成12年10月に低線量放射線研究センターが設立されてから、約2年が経過いたしました。今回は、私たちの歩みの一区切りとして、「低線量放射線影響の総合的な研究推進と情報発信」と題し、低線量放射線研究センターを設立した経緯と現在までの活動状況についてご報告いたします。



(98年3月調査)
あなたは原子力発電を積極的に進めるべきだとお考えですか?
A.積極的に進めるべきだ
B.慎重にすすめるべきだ
C.これ以上進めるべきではない
D.原子力発電はやめるべきだ
E.わからない、無回答

出典:NHK世論調査


 ここに示すグラフは、1998年3月に日本放送協会(NHK)によって実施された「原子力発電の今後」に関する世論調査の結果およびこれまでの推移をとりまとめたものです。これを見ると、1998年3月の時点では約63%の人が原子力発電を積極的に進めるべき(7.8%)または慎重に進めるべき(55.2%)と答えており、わが国では原子力発電を支持する人の方が反対する人よりも多いことがわかります。

 しかし、1986年4月に起こったチェルノブイリ事故の前後で「原子力発電はこれ以上進めるべきではない」と答えた人の割合が急増したケースを考えると、この世論調査の後で起こったJCO事故が原子力発電を支持する人に与えた「負の影響」は無視できず、放射線に対する心理的な不安を高めたことは否めません。

 私たちはこのような時にこそ、

・ 低線量影響研究を自ら行う専門家集団として信頼される組織が、
・ 全国ネット結成の中核となり、
・ 共同研究をプロモートし、
・ 低線量放射線による生物影響を正しく理解し、外部に情報発信することが必要な時期

 と考えています。

 当センターの研究目標は、

1.低線量放射線の生物影響の正しい理解
2.放射線防護基準の見直し
3.医療への適用可能性の探索

を3本柱とし、外部研究機関との連携を図り、生体の分子・細胞・個体のそれぞれのレベルにおいて、放射線が及ぼす影響を多面的、また総合的に解明する研究プロジェクトを立ち上げ、現在順調に研究を進めています。



 放射線が生物に与える影響の度合いは、同じ線量でも短時間に受けるか、あるいは長期にわたってじわじわと受けるかによって大きく変わります。例えば、これまでの文献でがんの発生が認められたと報告されている最も低い放射線のレベルを見てみますと、広島・長崎のような1回の照射条件では「100mSv」であるのに対して、長期照射の場合には「500mSv」近くになるまで発がんは認められておりません。

 この文献に示された長期照射の結果は動物を使った実験データから得られたものですが、さらに線量率を下げて自然放射線レベルにすると放射線の影響は見られなくなります。ちなみに、自然放射線のレベルを見てみますと、これは場所によって大きく異なっています。人々が1年間に受ける自然放射線の量は、日本が平均値で1mSv(ラドンによる効果を除いている)付近であるのに対して、ブラジルでは約10倍、イランでは約20倍、特にイランのラムサール地区には130倍近くにも達する地域がありますが、人々はいずれの地域でも普通に生活しています。私達の寿命を70歳と仮定しますと、生涯に受ける放射線の総量は、日本ですと80mSvの付近、イランですと1,000〜10,000mSvの付近まで達しており、当然、がんの発生率に変化が生じても不思議ではなく、イランなどではかなり多くの人々ががんを発症するはずです。しかし、ブラジルやイランに住む人々の方が日本人よりもがんの発生率が増えたとか、寿命が短くなったと言うような報告はございません。

 このように、放射線の影響は複雑であり、特に低線量および低線量率の放射線が生体に及ぼす影響については未だ十分な解明がなされてはおりません。

 それでも多くの人達は、放射線が有害以外の何物でもないと思っています。

 このような考えが持たれる背景には何があるのでしょうか。私たちはこの原因の一つとして、権威ある国際放射線防護委員会(ICRP)が放射線防護の観点から、未だ不明な低線量および低線量率の放射線影響についてはあまり深く踏み込まず、「発がんのリスクにしきい値はなく、受けた放射線の量に比例してがんの発生率は増える」と仮定したことが、いつの間にか生物の放射線影響を示す指標として一人歩きしたことが大きいと考えています。

 広島・長崎のデータを見れば、確かに、被ばくした放射線の量が大きい人では、がんの発生率が受けた放射線の量に比例して増えていることがわかります。しかし、放射線の量が少なくなっても発がん率が同様に増えるかというと、それを示すデータは皆無であり、逆に、ある領域では発がん率が減少するとの報告もあります。加えて、低線量率で長期間放射線を受けた場合の生物影響を調べるような実験はこれまでほとんどありませんでした。

 そのため、当センターでは、マウスなどの実験動物を長期間飼育しながら連続照射できる、Cs-137(セシウム137)をγ線源とした「低線量率放射線長期照射設備」を設置して、線源からの距離を変えることにより放射線の線量率をいろいろ変えて、長期間にわたり連続照射したときにマウスの発がん率は増えていくのか、実験して調べることにしました。



 低線量率放射線長期照射設備でつくることができる放射線の線量率は、現在、自然放射線レベルの100〜1,000倍の範囲です。これまでは、X線発生装置を使っており、このような低線量率の放射線環境をつくることができませんでした。



 実験には、放射線の影響研究に多用されている市販の実験用マウス(ICRマウス)を用いました。マウスのももの付け根のあたりに発がん物質であるメチルコラントレンを注射し、低線量の放射線を連続照射する場合と、照射しない場合とを比較し、発がん率に差が生じるかどうか、経過観察を行うことにしました。



 マウスは、線源から3m、5m、10mの距離およびコンクリート壁の裏側に配置(比較のための放射線を照射しないマウスも配置)しました。3m、5mおよび10mの距離における放射線の線量率は、それぞれ2.6mGy/hr、0.95mGy/hrおよび0.3mGy/hrでした。



 実験では、生まれてから6週間を経過したメスのICRマウスを35匹ずつ実験室の所定の位置に置き、環境に馴染ませるため、まず35日間照射だけを行いました。その後、発がん物質を投与し、放射線を当てながら約200日間にわたって発がんの経過観察を行いました。



 ここに実験結果の一例を示します。横軸は線源からの距離、縦軸にはがんの発生率を示しています。この実験結果から次のことがわかります。

・ 線源から10mの距離において放射線を照射したマウスと照射しなかったマウスとの間でがん発生率に差は認められない。
・5mの距離に配置したマウスについては、統計学的に優位ながん発生率の低下が認められた。
・3mの距離に置いたマウスについては、統計的に有意な差ではないが、がん発生率の低下する傾向が見られた。

 すなわち、

・低線量率の照射条件では発がん抑制効果が生じ、その効果には最適な線量率があるようだ、
・このような発がん抑制効果が生じることは、発がん率は放射線の量に比例して増えるとしたICRPの考え方では説明できず、 低線量の放射線影響については、これまでICRPが提案してきた「しきい値なし直線(LNT)仮説」を見直し、これに替わる新たな影響評価方法を開発する必要性が示唆される、

とまとめることができます。



 低線量の放射線が、人に対してもがん抑制作用を示すことは、がん治療の現場においても経験されています。

 このような発がん抑制効果はどのようにして生じるのでしょうか。先ず発がんのメカニズムですが、これについては概ね、次のように考えられています。

・人が住む環境には様々な発がん要因があり、直接あるいは活性酸素と呼ばれる反応性の高い物質を体内に生成し、DNAに損傷を与える。
・DNAに損傷を受けた細胞はある確率でがん細胞となる。
・がん細胞が正常な増殖の制御を逸脱して無秩序に増殖するようになると、疾患としてのがんに至る。



 私たちは、低線量放射線が引金となって、がんの発症に至る過程が進展することを防御する働き、すなわち、

1.活性酸素の生成を感じてこれを消去する「抗酸化物質の生成機能」の増強
2.DNAの損傷を「修復する機能」の増強、
3.がん化した細胞を自殺させる「アポトーシス機構の活性化機能」の増強
4.がん細胞を死滅させる「免疫機能」の増強

等のような生体防御の機構が、低線量放射線に対しては効果的に働き、発がんという放射線の悪影響が生じることを未然に防いでいると仮定し、現在、動物実験による検証を鋭意進めているところです。

 興味ある生体の応答事例の一つとして、糖尿病の発症が低線量の放射線によって抑えられた事例をご紹介します。

 糖尿病には、インスリン依存性で若い人に多い I 型糖尿病と、インスリンに依存せず、成人に多く見られる II 型糖尿病の2種類があります。日本人の糖尿病の多くは II 型と言われています。



 まず、 I 型糖尿病について行った実験について紹介させていただきます。実験には生後15週の前後で自然に I 型糖尿病を発症する特殊なマウスを用いました。このマウスが生まれてから12週間、13週間および14週間経過した時に、それぞれ低線量放射線を1回照射したところ、12週間経過後に照射されたマウスにおいて糖尿病の発症が有意に抑えられることがわかりました。



 一方、II 型糖尿病については、若齢時から糖尿病を発症する II 型糖尿病モデルマウスを用いて約80週間、低線量率の放射線を連続して照射する実験を行い、照射開始の時すでに発症していた II 型糖尿病の症状が改善されるかどうか調べてみました。驚いたことに、照射を始めてから約20週を過ぎてから、12匹のうち3匹において尿糖値が著しく改善し、その状態が長く続くことが確かめられています。



 また、放射線を照射したマウスと照射しないマウスの毛のつや、皮膚の状態を観察したところ、放射線を照射したマウスの集団では若い状態を維持しているのに対し、照射しない集団では、一部脱毛や皮膚が硬くなる現象が認められており、低線量の放射線照射が、マウスの老化を遅らせているのではないかと思われます。



 以上、紹介しました低線量放射線による発がん抑制効果、糖尿病の抑制、改善効果の事例は、国際放射線防護委員会(ICRP)が採用している「放射線影響のしきい値なし直線仮説(LNT仮説)」では説明できない現象であり、「どんなに微量の放射線でも生体にとっては有害」とする従来の「放射線パラダイム」を否定するものであります。

 私たちは、低線量放射線と高線量放射線が生体に及ぼす影響は全く違うと仮定して、低線量放射線に固有な「生体応答モデルの仮説」を提案し、今後2〜3年かけて実証したいと考えています。

 このモデルの主な特徴は、放射線が当たった細胞だけに注目した従来の放射線影響の考え方に対して、周りの細胞が情報を交換しつつ緊密に協力を取り合って遺伝子の損傷を修復、あるいは影響を受けた細胞を排除するなど、個々の細胞が一つの社会を形成して放射線の悪影響を未然に防止するとしたところにあります。



 このような考え方は、生物の進化の歴史を考えれば、極めて自然と言えるのではないでしょうか。すなわち、地球が誕生した約45億年前から、自然の環境中には宇宙線や大地からの放射線が存在しており、生物は長い間、放射線と接しながら生まれ、進化し、生きつづけてきました。

 この生物の進化の歴史を考えるならば、地球上の生物は、低線量の放射線を刺激として受け止め、これを生体防護する機能を備えており、時には発がん抑制効果などのプラスの効果を生じるとしても当然と言えるのではないでしょうか。



 低線量放射線研究センターでは、外部研究機関との連携をさらに強化し、研究ネットワークの拠点として、低線量の放射線が生物に及ぼす影響の正しい理解に努め、多くの人が放射線に抱く心理的な不安の軽減に寄与できれば幸いと考えています。

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